外観|『盗む』という手法があった良き時代
ファサードのデザインを決めるのは難しいですが、街並を考える場合に多くの葛藤が働きなかなか決まらない時があります。
隣を模倣して違和感ない街並にしていく『盗む』というような手法が、過去の街並デザインでは良くあることだったそうです。
いい意味での「まねをする」ことで隣への配慮をして、自然で違和感なくなじみをよくした街並にしていく手法でした。たとえば、格子や窓のデザインやそのパターンを踏襲しながら街並の連続感を保つ方法です。
異質なものをうけつけないから、コントラストの美しさを求めないそうです。
この時代の決まり事のようなもので、職人の技だけでできていき、そして美しく統一感のある街並が自然にできていきます。日本の木造建築で街並が形成されていた良き時代のことです。
なによりも模倣して行ける根拠が両隣にあるのだからいいですよね。
現在の街並ではいろいろな工法や素材が多く氾濫していて、お互いが主張しあっています。『盗む』のような手法がかんたんに出来ない中でどう作って行けばいいのかよく悩みます。そんな中で街並みにとけ込むように、またひかえ目に素材や工法などの整理をする事から始めます。
アノニマスデザインのように、また無印のように風景の中に自然のごとく主張せずに埋もれている方がファサードのデザインとして良いと思います。そしてその外部は内部の現れだと思いますが、外から見て全てが分かりすぎるのも魅力のないことです。
何かを予感させる、その先に期待感や奥行きをを感じさせるものがあれば魅力はまします。
入り口部分や、エントランスの扉で、内部の一部分を暗示させるだけで、外からは内部空間の様子が分からない方が内側に入った時の変化やサプライズ、驚き感がでてきます。これは大切なことでそれがその建築の魅力だと思います。
集落のデザインが美しいのは、それぞれはアノニマスでありながら時間をかけて完成されてきたデザインだからです。それがヴァナキュラーなデザインとなっているからです。
ここでいう集落とは、主に地中海地域のことで、話しは飛びますが、魅力のある街並の原点だと思います。
このアノニマスデザイン、バナキュラーデザインとは、どのようなものか簡単にいいますと、『建築家なしの建築』(B・ルドフスキー著)に出てくる
字のごとく名もなき建築たちのことで、アノニマス(無名性)なものが時間がたってくるとバナキュラー(風土的・土着的)となることです。
驚異の工匠たち(B・ルドフスキー著)を、読んでいてわくわくするのは、ななぜでしょうか。
それは『住みか』は、動物の段階から始まる生存のための基本的な技術であって、本能に基づいた営みだからで、「建築家」が出てきたのは、ほんのここ数世紀のことにすぎないです。「建築」とはなにかを語りかけてくれるからこそです。